私が神の存在を知ったのは2015年の10月ごろ。そしてその年のクリスマスプレゼントに夫に聖書を買ってもらった。
なぜ神を信じるようになったのか?
私は2006年からイタリアに住んでいるのだが、イタリアでは理不尽なことがものすごく多くて、そこから世の中に対して疑問を抱くようになった。
考えてみれば日本でも同じ状況なのだが、なぜ「優秀」であるはずの政治家が日夜一生懸命働き、知恵を出しているにも関わらず、世の中は良くならないのか?むしろ悪化しているのか?
神を見つける数年前に、「どうもこの世の中は、ほんの一握りの権力者によって、彼らの都合のいいように動かされているようだ」ということには気がついた。そして「私たち一般庶民にはどうすることもできないんだ」という諦めの状態でしばらく停止していた。
そして2015年の10月ごろ、ふと「なぜ彼らは一般庶民を虫けらのように扱うのだろう。なぜ人を苦しめることばかりするのだろう。なぜ権力者に善人はいないのか」という思いがよぎった。ロスチャイルドの世界革命行動計画を目にしたからだ。そして、エリートと呼ばれるこの世の支配者たちの人格に興味を持ち、彼らの思想を調べることにした。
結果、彼らは悪魔崇拝者という結論に至る。彼らの富や権力は悪魔から譲り受けたものであり、その代償として彼らは悪を行わなければならないのだ。悪魔に魂を売って、富や権力を得るということは、本当にあるのだ。ファウストの世界なのだ。
権力者のバックに悪魔がいると知った時、絶望を感じた。悪魔の仕業では、私のような一般庶民にはどうすることもできないではないか。悪魔が世の中を支配しているなら、この先未来などないではないか、と。
しかし絶望は一瞬で終わり、すぐに希望に変わった。
いや待てよ、悪魔が実在するなら、神も実在するということでは?神は本当にいるの?すごい!!!ならば私は神と共にいたい、神について行きたい!!!
こうして、神を知るべく聖書を買い、信仰生活を開始したのだった(教会に通い始めたのは翌2016年の3月から。今はハコモノの教会には通っていない)。
神を見つける方法は人それぞれだと思う。私は真実を探していて神と出会った。イエス・キリストが「私は道であり真理であり命である(ヨハネの福音書14:6)」と言っているのだから、真実を探せばイエスにぶち当たるのは当然のことなのだろう。
神を探す人は少ない。でも真理は、生きていて気にならないだろうか?この世に生まれたからには、とことん真理を探してみるべきだと思う。さすれば自ずと神を見つける。