子供の好きなものを否定する、けなす親

記憶にある一番古い毒親エピソードは、私が気に入ったものを買ってくれない親、です。

私は幼稚園児で、母親と一緒にデパートにいました。母親は私の靴下を選んでいました。多分セール中か何かで、靴下が山積みになっていて、私はその中にすごくかわいい靴下を見つけました。白地でレースがいっぱいのフリフリ靴下です。私はそれが欲しくて欲しくて、それを握りしめて、母親に何度も「これがいい」のアピールをしました。しかし母は、そんな私の主張はまるで聞こえなかったかのように、彼女の選んだ靴下の方がいい、オシャレだと言って、私の気に入った靴下は買ってくれませんでした。今思えば、確かに母の選んだ靴下の方がオシャレでした。しかし当時の私は、あの白いフリフリの靴下がたまらなく欲しかったのです。

こうした経験を繰り返し、私は、自分の好きなものは買ってもらえない、お母さんが気に入らなければ買ってもらえない、という思考が身につきました。そうして、私は自分が好きなものを「好き」と素直に言えなくなりました。判断基準は常に、母親が気にいるかどうかで、自分の気持ちを押し殺すようになりました。親にクリスマスプレゼントなどのリクエストを聞かれても本当に欲しいものは言えないし(というか、親に欲しいものを聞かれた記憶がない…)、もちろん親に何かをねだるなんてことはできません。

私には2つ年上の兄がいますが、母は兄には甘く、兄はおねだりをして欲しいものを買ってもらっていました。なので、母親のこの態度は、同性の娘である私だけへの態度だったのでしょう。30過ぎるまで気づきませんでしたけどね…。

小学校高学年のとき、好きな男の子ができました。顔はイマイチでしたが、頭が良くて笑いのセンスがあって、いつもクラスのみんなを笑わせていました。
その子が好きなことを、まず兄が知りました。そしてブサイクだと笑いました。そして兄はそれを母親にも喋りました。その母は兄と一緒になって「そんなブサイクな奴がいいなんて、お前はオカシイ。キトクだ」と嘲り笑い、私が泣こうが怒ろうが笑いのネタにし続けました。

当時12歳だった兄は仕方ないかな、とも思うのです。子供の素直な反応で。妹の好きな人をおちょくって笑いを取りたかったのかと思うのです。でも母親のあの態度はどうなんでしょう?12歳の息子と一緒になって、10歳の娘をけなすって…。なんとまぁ未熟な母親か…。と今の私は思いますね。

ま、母親は今も(70代)、私の夫をけなしたりすますからね。三つ子の魂百まで、ですかね。

11歳くらいの時に、私がエスカルゴっていう車を「かわいい。大きくなったら乗りたい」と言ったときも、母親は「ダサい。センスがない」と言って散々けなしてくれました。その時も兄とチームを組んで一緒になって私を小馬鹿にしていましたね。あのチームを組むのって、一体なんなんでしょうね?その後もこの母兄チームが私をけなす、ということは兄が高校に入るくらいまでは続いたような気がします(おそらくそれ以降は、兄の興味は他に移っていて、母と同意見になることがなかったのかもしれません)。

そうやって育った私は、すっかり自分に自信がなくなっていましたね。自分で選ぶということができなくなっていた。基準はいつも、親が喜ぶもの、親が気にいるもの、という感じ。服も大学も就職先も、何をするのにも親に伺いを立てて、親が気にいるものを選んでいました。

ただ、大学から親と離れて暮らし始めたことは良いことでした。結局、18歳で親元を離れてから一度も親と暮らしてはいません。両親が毒親だと気付いたのは、私が31歳の時でしたが、親から離れて暮らしていたことは、毒親だと気づく良いきっかけになりました。冷静に、親と暮らしていた頃、親と深く関わっていた頃と、親から離れて暮らしている時、親を無視して生きている時の自分の幸福度を考えてみたのです。答えは明らかでした。

あなたを苦しめる親からは、物理的に、精神的に距離を置くことをお勧めします。