私の夫は自己中で、私がクリスチャンであることをいいことに、好き勝手しています。私が何か注意をすれば、「お前はクリスチャンなんだから赦して我慢するべきじゃないのか?隣人を愛するべきではないのか?不敬虔な奴め」みたいなことを言います。
ですが時々(いやしょっちゅう)、クリスチャンだからという理由で、いつも私だけが我慢しないといけないのか?と疑問に思うことがあります。
そこで、クリスチャンと忍耐、我慢についてもっと学びたいと思いました。
使徒パオロさんは次のように言っています。
このキリストによって私たちは、信仰によって、今立っているこの恵みに導き入れられました。そして、神の栄光にあずかる望みを喜んでいます。
それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、
忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ5:2–5)
per mezzo del quale abbiamo anche avuto, mediante la fede, l’accesso a questa grazia nella quale stiamo saldi e ci vantiamo nella sapienza della gloria di Dio.
E non soltanto questo, ma ci vantiamo anche nelle afflizioni, sapendo che l’afflizione produce perseveranza,
la perseveranza esperienza e l’esperienza speranza.
Or la speranza non confonde, perché l’amore di Dio è stato sparso nei nostri cuori per mezzo dello Spirito Santo che ci è stato dato. (Romani 5:2-5)
私たちクリスチャンはまず、神の恵みによって義とみなされているので、いつの日か神の栄光にあずかる希望を喜んでいます。
でも、それだけではありません。
苦難さえも喜んでいます。
どういうことでしょうか?
私たちが理解すべきことは、「苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す、それが、神の御心にそった、私たちの成長過程である」ということのようです。
つまり、一つのものが他の一つを導き、その一つがまた他の一つを導いていくということ。
私の失敗は、おそらくこの過程の全てを通り過ぎず、一つのことに注目しすぎて停滞している点にありそうです…。つまり、苦難にばかり、忍耐にばかり目を向けていて、その先を見ていない。
クリスチャンとして成長するには、最後までこの過程をやり遂げる必要がありそうです。
成長過程は苦難、苦悩から始まります。
そしてパオロは言います「苦難さえも喜んでいる」と。しかしながら、私たちは苦難があるから喜ぶのではありません。苦難を喜んで受け容れることが神様の御心だと勘違いするなら、それは全くの自虐行為になります。
私たちは苦難の中に神の導きを見出します。何よりも素晴らしいものに導かれていることがわかると、それは喜びに変わります。
次の過程は忍耐です。
私たちには、何をするにも忍耐が必要です。仕事で成功するにも、趣味を上達させるにも、結婚生活にも、信仰を持ち続けるにも、全てにおいて忍耐は必要不可欠です。
(私は今この段階ですね。我慢して、我慢して、いつまで我慢すればいいの?と先が見えなく落ち込んでいる状態…)
パオロは言います。
なぜ忍耐が必要なのか?それは練られた品性を生み出すからだ、と。
つまり、苦難を耐え忍んだあとに、品性、よりよい人格が形成されるということ。
苦難を克服するための忍耐は、私たちを鍛錬する過程であり、段階なのです。
火の中にずっと留まっていたら、私たちは火傷をします。
けれど、もし火の中を「くぐり抜けるだけ」であれば、まるで精錬された金のように清められ、美しく鍛錬された価値のあるものになります。
つまり、忍耐を通して、神の似姿になることを学ぶ、ということでしょう。
さらに次の過程があります。
練られた品性は希望を生み出します。
希望とは何でしょう?聖書の中にある「希望」は、神様が私たちとの約束を守られるという確信、つまり、私たちはいつの日か「神様と永遠を過ごすことができる」という確信を指します。
今の私は、苦難と忍耐の過程で停滞していました。
その先を見ていなかった。
この忍耐が、私にとってよいものであること、私を成長させてくれるものであること、そして忍耐を通して練られた人格が、神の国を引き継ぐ希望へとつながっていること。
過程を忘れていました。
我慢は、誰かのためにするのではない。夫のために我慢するのではない。
神様が喜んでくださる自分になるため、神様と永遠を過ごすにふさわしい自分になるための過程なのだ。
神様を見つめて、もう少し頑張ってみようと思いました。
ローマ人への手紙5章2節から5節を学ぶにあたり、Minoh international churchさんの記事が大変参考になりました。ありがとうございます。