今日も私の翻訳したパスカルの本から、パスカルの思想を紹介するよ!
ところで、もろもろの地位や財産の理想像について考えたとき、私たちは真っ先に王権を想像するだろう。しかし、たとえこの王が、ありとあらゆる満足に取り囲まれていたとしても、もし彼に気をまぎらわせるものがなく、彼が自分自身について深く考えるままに任せておくならば、地位や財産といった儚くてもろい幸福は、彼を十分に支えてはくれないだろう。そして彼は、起こるかもしれない反乱や、ついには避けられない病や死など、彼を脅かす思いに必然的に陥ってしまう。つまり、いわゆる「娯楽」がなければ、たとえ王であっても彼はたちまち不幸になってしまう。それも、娯楽を知る下っ端の家来よりも、である。
そういうわけで、遊び、女性とのおしゃべり、戦争、栄誉ある仕事などが、これほどまで人に必要とされるのである。これらの中に実際に幸福があるわけはないし、賭け事で儲ける金とか、獲物の兎を追いかけることに至福があるわけでもない。そんなものは、くれると言われても欲しくないだろう。私たちは、自分自身の不幸な状態について考えるままにさせるような穏やかで平和な時間を望まないが、かといって戦争での危険や仕事上の苦労が欲しいわけでもない。そうではなく、私たちは、考えることから気をそらし、気をまぎらわせてくれるものを求めているのである。
だからこそ人間は、これほどまでに騒ぎや動乱を好み、牢獄を恐れ、孤独の楽しみを理解できない。結局のところ、王が一般庶民よりも幸福である最大の理由は、王の周りには絶えず気をまぎらわせ、ありとあらゆる楽しみを与えようとする人々がいることにある。王は、常に彼を楽しませようとする人々によって取り囲まれていて、自分自身について考える暇がない。なぜなら、いくら王であっても、自己について考えてしまえば、幸福とは言い難い状態になってしまうからである。
パスカル『パンセ』139