偽善はいやだ

教会に通い始めた頃、周りの先輩クリスチャンは素晴らしい人々のように思えた。私よりもずっと聖書を知っていて、私よりもずっと信仰があって、とにかく素晴らしい人々なのだと…。

しかし、教会に通い始めて6年経った今は、全然そうとは思わない。
教会に通う人々も、牧師も、自分とそう大して変わらぬ、欠陥だらけの人間だと思う。

教会に行くと、たぶんこれは私があまりにも未熟な悪いクリスチャンだからかも知れないが、偽善に思えてしまう発言やお祈りに出くわしてしまう。
私は悪い人間なので、見たこともない人や、知らない国のために祈れない。私がもしそういう知らない人のために祈る時、たぶんそれは偽善になってしまう。

世界を見れば、戦争があり、災害があり、飢えがあり、苦しんでいる人が山ほどいることはわかる。私たちは彼らに比べればきっと恵まれているのだということもわかる。けれど、私の身近にも、知っている人の中でも、たくさんの人がまた別の理由で苦しんでいる。私は、そういった、目に見える、近くの人を助けたいし、知っている人のために祈りたい。私は悪いクリスチャンだろうか。

教会で、牧師や教会員の傲りが見えるとき、当然であるが失望してしまう。自分はなんぼのもんじゃ…!?と自覚しているので、彼らを非難するようなことは絶対にしない。けれど、やはり知識や経験は知らず知らずのうちに人を高慢にさせるのかなぁ、と思う。自戒の念を込めて。

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