私の親は、両親とも、「育ててやった」という言葉をよく使いました。
「ここまで育ててやったのに」
「誰のおかげで飯が食えると思ってるんだ」
「誰のおかげで大学に通えるんだ」
こう言うセリフは常套句でした。
母親はよく、子育ての苦労話を私にしました。
母は早くに両親を亡くしており、夫も全然家に帰ってこない人だったので、いわゆる「ワンオペ育児」だったようで
「子育ては本当に大変で、苦しくて、何度も死にたいと思った」
「母が生きていてくれれば…」
とか、子供の私に向かって言うのです。
そんな話を聞いた私は
(なんだか生まれてきて悪かったみたい)
(お父さんのことを悪くいうけど、お父さんがいなかったら私は生まれなかったんだけどな、私が生まれて来なくてもよかったのかな?)
という気持ちになりました。
さて、私はイタリア在住で、夫の両親はもう亡くなっていて周りに親戚もおらず、夫は毎日仕事に行くので、私も2人の子供をワンオペ育児しています。
けれど、母親の気持ちは全くわかりません。もちろん一人で子育ては大変だけれど、誰にも干渉されない分、気楽なところもあり、「苦しくて苦しくて死にたいと思った」ことは一度もありません。
今思うと、母親の発言は、子育ての大変さを愚痴ったというよりも、子育てに非協力的な夫への恨みつらみだったのではないかと思います。
だからと言って子供にこういう発言をするのはどうかと思いますけどね。聞かされる方はたまったもんじゃないです。
とにかく、こんな風に、子育ての大変さをアピールしては、私に「育ててもらった恩」を着せようとしていました。
子供は親に対して、育ててもらった恩があるのだから、それを返さないといけない。具体的には、親の望む生き方をして、親を喜ばせ、親に孝行しないといけない。親の理想から外れれば「親不孝者」であり、そんな親不孝者には一切の援助、協力、精神的サポートはなし(どころか誹謗中傷の嵐)。
それが私の親でした。
というわけで、私は小さい頃から、なるべく親に負担をかけないように、親からの援助は受けないように、親のお金を使わせないように努力してきました。
大学を卒業して就職してからは、親に金銭的援助を申し出たことは一度もありません。
援助してもらえば、「あの時これだけ助けてやったのに!」と後々言われることが目に見えていたからです。
親に助けてもらったら、一生それを感謝し続け、親のいうことを聞かなければなりません…。育ててもらった、大学に行かせてもらった、相談に乗ってもらった…等々の代償が大きすぎる…(笑)
自分の親が毒親だと気づく前は、親孝行できない(=親を喜ばせられない=親の理想通りに生きられない)自分が悪いのだと思っていました。そう思い込んでいた時期はとてもつらかったです。何のために生きているのか、生きている意味がわからなくなっていました。
今は、親がオカシイということに気づいて、親のために私の人生があるわけではないことに気づいて、親と自分の間に境界線を引いて、心穏やかに生きています。
もし、親の理想通りに生きられない自分に苦しんでいる人がいましたら、「そんな無駄なことはしなくていいよ」と言ってあげたいです。こういう親は、結局子供が何をしたところで、いつも不満なのです。
私もかつては親が喜ぶ道を選び、親のアドバイスにしたがって生きていました。しかし、それで上手くいかなかった時、親は大抵「そうしろなんて言った覚えはない。あんたが勝手にそうしたんでしょ。私は何も頼んでいない。責任押し付けられて迷惑だわ」と言って逃げました。
だからもう、何を言われても聞き流して、気にしないのが一番です。